ロマネコンティ(Romanee Conti) 1956の値段と購入時の注意点も解説!

ワイン会

この記事では、

  • ロマネコンティ1956の値段と購入時の注意点

について、フランスヴィンテージワイン専門ソムリエ歴36年の筆者が解説しています。

失敗しないウィンテージワイン選びを行いましょう。

ロマネコンティ1956の値段と購入時の注意点も解説!

以下では、ロマネコンティ1956の値段と購入時の注意点を解説していきます。

ウィンテージワインマニアなら一度は口にしたい幻の一本ですが、

値段は2023年現在、100万円~200万円位か・・・!

国際市場を調べたところ、現在オファーはありませんでした。

しかし仮にあったとしてその値段を予想すると100万円~200万円価格の範囲になのものと思われます。

なぜならば、1956年はワインの世紀のハズレ年!として有名だからです。

ですのでこの年のワインは世界を探してもほとんど残っていないものと思われます。

だからこそ、価格は非常に高価になるものと思われます。

ロマネコンティ1956の購入時はココに注意!

仮にロマネコンティ1956を販売している店舗やサイトを見つけた場合、購入する際に絶対に抑えておきたい注意点を解説します。(古酒全般の購入の際の注意事項です)

  1. 仮に有っても、最重要は「清澄度」が完璧なことが望まれる。
  2. 販売先が画像を送ってくれることが多いですが、判別不能の場合もあります。この場合、私はいつも「白熱球に照らして濁りがないか?」確認してもらいます。
  3. 液面は高い方が良いですが、半世紀以上の経過で「高過ぎる」ものはかえって疑問です!キャップ下から数センチが妥当でしょう。
  4. リコルク物は販売側は安心ですが、若いヴィンテージが混入している場合があります(一般論)DRCではまず絶対にリコルクはしてくれません。
  5. ロマネコンティは、1945年の収穫がすんでから、フィロキセア(根アブラムシ)の影響から脱するために、葡萄樹を引き抜きアメリカの台木に挿げ替えました。翌年の1946年より1951年までの6年間はロマネコンティは存在しません。この間特に1947年、1949年が大当たり年の為、過去に何度も贋作が出回りました。1945年物は最も高額なロマネコンティですが、2002年7月に発刊された季刊「ワイナート」15の記事にHigh Five(43ページ~)という著名な方のスペシャルなワイン会でロマネコンティ1945年マグナム瓶が出展されていますが、このマグナムは贋作です!この1945年は生産数608本と極小だった為、マグナム詰めは行わなかったと当時の醸造責任者のベルナール ノブレさんが語っています!
  6. 通常のワイン屋さんでは危険すぎます!サザビーズ、クリスティーズ、ボナムスのワイン古酒の専門家がいるオークションでの落札が賢明と言えましょう。

 

 

ロマネコンティ 1956 値段は1994年当時、30万円

持ち込まれた方は1994年当時、ワイン屋で30万円で購入されたという。

 

 

ロマネコンティ 1956とは?20世紀最悪の年!?

世界で最も有名で、最もレアで、最も高価なワイン・・・!

1.805haという魔性の小さな畑で、年生産5000本弱から多くて9000本!

1131年に記されたサン ヴィヴァン修道院の所有から、1760年ルイ15世の従兄弟であり軍事顧問であったコンティ公ルイ フランソワ ド ブルボンの所有となり、革命後1869年に現在の共同所有者の祖先である、ジャック マリー デュヴォー ブロシェの所有となる。1930年代は大恐慌と不作続きが重なり、当時のオーナー、エドモン ゴーダン ド ヴィレーヌはドメーヌの半分の所有権移行を決意、初めに当時の最大取引先のジョゼフ ドルーアンに話を持っていくが、戦時中でレジスタンスであったモーリス ドルーアンは地下に潜っていた為に叶わず、オーセイ デュレス村のネゴシャンでドイツの蒸留酒販売で成功した、アンリ ルロワ(現在のラルー ビーズ ルロワの父)が1942年半分の権利を買い取り、共同所有者となる。そのお陰で、この畑は分割されずに済みMonopole(モノポール、単独所有)を維持した。

1956年の作柄は・・・、年明けは穏やかであったが、2月の初めプラス12度から一気にマイナス12度まで急降下した。この寒気は2月一杯続き、時折マイナス30度になりそうな日もあった。雪が葡萄樹を覆いつくし、その後雨も多かった。開花期は遅く7月半ばとなった。収穫の公示は10月中旬で、下旬は数日中霧に包まれ、収量は少なく平凡以下であった。

殆どのワイン評価本で、「1956年は惨憺たる年で、避けるべし!」「20世紀最悪のヴィンテージの一つ」等、酷評ばかりのヴィンテージ。

 

産地

Vosne Romanee(ヴォーヌロマネ村)

格付け

Grand Cru(グラン クリュ)

希少性

ロマネ コンティの生産量は多い年で9000本程、少ない年は5000本程。

この本数で世界からきつい需要が有る為、常にプレミア価格がついてしまう。

2023年現在、最新のヴィンテージは2019年物で、この年の生産量はかなり少なく、4906本!そしてこの国際価格は日本円で、250万円~350万円程。

因みに、ボルドーの5大シャトーの生産量は、130,000本~300,000本程!正に桁違い!!

ボルドーで最も高額のワインを生む、シャトー ペトリュスで25,000本~30,000本!

ロマネ コンティが如何に生産量が少ないか、ご理解頂けますね。

ロマネコンティ 1956を飲む意味とは?

正に究極の生まれ年ワインを堪能する!

ご自身とご友人のヴィンテージで、半世紀という時の試練を耐えてきた同志として、たとえ大外れであったとしても慈しみたい気持。

1956年の出来事

 

世界では

昭和31年(1956年)の世界
1.26 第7回冬季オリンピック(伊・コルチナ=ダンペッツォ,~2.5)。
トニー=ザイラー(伊),初のアルペン三冠王。猪谷千春,スキー回転で2位(冬季初のメダル)。
2.14 ソ連共産党第20回大会,平和共存路線を採択。 2.24フルシチョフ,
秘密会でスターリン批判演説。
4.17 コミンフォルム解散。
5.9 日本登山隊(隊長槇有恒),ヒマラヤのマナスル(8156m)に初登頂。
6.1 ユーゴ大統領チトーソ連訪問。 6.23ユーゴ・ソ連共同宣言発表(友好・協力関係確立で合意)。
6.13 英軍,スエズ運河から撤退。
6.23 エジプト,初代大統領にナセル選出。 7.26ナセル,スエズ運河の国有化を宣言。
7.18 チトー・ネルー・ナセル会談,軍事ブロック・植民地主義反対を訴える。
10.23 ハンガリーのブダペストで20数万人デモノ連軍撤退・複数政党制などを要求(ハンガリー動乱始まる)。
10.24ソ連軍出動。 11.1ナジ首相,ワルシャワ条約機構脱退を表明。 11.4ソ連軍事介入,ナジ政権を転覆。
10.29 イスラエル軍,エジプトに侵攻。 10.30英・仏軍参戦(スエズ戦争)。 12.22英・仏軍撤退。
11.22 第16回オリンピック開催(メルボルン,~12.6)。日本選手118人参加。体操で小野喬(鉄棒),
200m平泳で古川勝,レスリングで笹原正三・池田三男が金メダル。
12.2 カストロらキューバ革命派82人,キューバ上陸。
12.31 ラオス王国政府,パテト=ラオ政権樹立を宣言。
この年 北朝鮮で「千里馬(チョンリマ)」運動始まる。

日本では

昭和31年(1956年)の動き
日ソ国交回復・国連加盟実現。好況が続く

昭和31年(1956年)の川柳 初もうで戸板で帰るとは哀し 松本達雄

昭和31年(1956年)のオリンピック金メダリスト
第16回 夏季メルボルン大会

水泳 男子200メートル平泳ぎ 古川 勝
体操 男子鉄棒 小野 喬
レスリング
フリースタイル・フェザー級 笹原正三
ウェルター級 池田三男

昭和31年(1956年)の流行歌
「リンゴ村から」「哀愁列車」三橋美智也/「愛ちゃんはお嫁に」鈴木三重子/
「若いお巡りさん」曽根史郎/「ケ=セラ=セラ」ペギー葉山/「ハート=ブレイク=ホテル」小坂一也

昭和31年(1956年)の話題の書物
石原慎太郎『太陽の季節』/五味川純平『人間の条件』/三島由紀夫『金閣寺』/
原田康子『挽歌』/谷崎潤一郎『鍵』

昭和31年(1956年)のテレビ
『チロリン村とくるみの木』『お笑い三人組』『春夏秋冬』『東芝日曜劇場』[CM]「アンクルトリス」(寿屋),
「動くバヤリースのマーク」(朝日麦酒)

ロマネコンティ 1956のワイン会を開催しました

 

ロマネコンティ 1956を選んだ理由

究極の理由は、ご自身の生まれ年ワイン!

理由1.

持ち込みワイン会で、ご自身とご友人が1956年生まれの為。

理由2.

以前読んだ書物に、「全くダメなヴィンテージはその通りのこともあるが、時々!そのテロワールをクッキリと映し出し、信じられない程の魅力を発揮することがある。」との記述があり、とても興味があった。

当然ながら、超一流の造り手の場合のみの話。

ロマネコンティ 1956の評価・印象

ボトルの状態

蝋キャップは欠けていた。

蝋キャップ下から5cmの液面、酒齢50年としては良い状態。

清澄度は高く、期待値があがる。

ボトルを開けた瞬間の香り

偉大なる甘草と大地の香り。

グラスに注いだ瞬間の香り、色

エッジに錆色が浮かび、美しく淡いガーネット色。

透明感のある甘草のニュアンス、木苺風味のシャンピニオン。

一口目の印象

独特の砂糖大根、ビートの根っこの香りが持続していく。

二口目以降の印象

時間と共に炙り肉の芳香が強く主張してくる!

シャンピニオン(茸のニュアンス)から、時間と共に薔薇のニュアンスに変化していく。ドライフラワーの薔薇、萎れた薔薇の香り。

3時間以上経過しても、グラスの中でピンと立っていて、飲み手の背筋が伸びる!

ピッタリな料理

プーラルド (雌の肥育ブレス鶏)

ワイン会に参加くださった方の感想・評価

当初、1956年は世紀のハズレ年!で期待値は殆どなかったが、自身とご友人のヴィンテージなので、半世紀という時の試練を耐えてきた同志として、慈しみたい気持であった。しかし、結果は信じられないほどのクオリティでグラスの中で、抜栓3時間後も一切ブレずRomanee Contiの真価を思う存分発揮してくれた。

ワイン会のお知らせ

日時:2023年12月24日(日)17時~

ご参加費:30万円(税込)

募集人員:14名様

テーマ:ロマネコンティを凌駕した、ミュジニの50年古酒!

ワイン会概要のお知らせ

内容

*Henriot Cuve 38 En Magnum

*Bourgogne Blanc’00Domaine Comte Georges de Vogue

*Bourgogne Blanc’97Domaine Comte Georges de Vogue

*Corton Charlemagne’90Domiane Faiveley

*Corton Charlemagne’89Domaine Bonneau du Martray

*Volnay 1er Cru Caillerets’85Domaine de la Pousse d’Or

*Volnay 1er Cru Taillepieds’85Maison Leroy

*Bonnes Mares’97Domaine Comte Georges de Vogue

*Musigny Vieilles Vignes’72Domaine Comte Georges de Vogue

*Musigny Vieilles Vignes’69Domaine Comte Georges de Vogue

*Dom Perignon’85Reserve For Great Britain

こんな方に参加してほしい

アミノ酸の醸成したワイン古酒をこよなく愛する方!

過去のワイン会で飲んだヴィンテージワイン

Romanee Conti’23:ややマデリゼながら、十分満足たるもの、正に黒蜜の化身!

Romanee Conti’34:あるワイン会に参加して、1杯18万円の紹興酒!

Romanee Conti’45:生産量608本!!3年ほど前、ジョゼフ ドルーアン社の現社長のお父様ロベールの個人所有の物がNYサザビーズに出展され、1本5500万円&6100万円にて落札!日本の普通のニュースにものる。22年前に都内某所で、あるお祝いでご馳走になる。伝説の1945年物の名に恥じず、凛とした酒齢50歳のRomanee Conti1945!!!

Romanee Conti’56:20世紀を代表する世紀のハズレ年!1956年。2006年12月に抜栓、果たしてこのワインはどんな姿を見せるのか??恐々と抜栓・・・、しかし抜栓直後から透明感のある甘草の化身はジワリと自己主張を強めていき、シャンブレ後力強い炙り肉の様相を呈し、2時間、3時間後もピクリとも微動だにしない泰然自若とした面持ち!これぞ世紀のRomanee Conti!!!自身の人生NO1!!のブルゴーニュ赤の一角を占めることとなる!

Romanee Conti’59:22年前の8月16日、友人の誕生会で頂く。20世紀5指に入る極上のヴィンテージ、1959年。芳醇且つ力強く、シュルマテュリテ(燻した焦げ臭)が特徴的な偉大な美酒!

Romanee Conti’66:1929年物と同日に、1929年物の後に試飲!前者が凄すぎて希薄に感じてしまった。後悔が残る・・・。

Romanee Conti’76:3L瓶をワイン会のメインで使用。残念ながらマデリゼで代替品として1988年物を提供。この日の料理は空前の贅沢!!ロマネコンティソースとなった。

Romanee Conti’82:多産な年で赤にとってはかなり厳しい年!残念ながらロマネコンティも例外でなく、薄まったような淡い甘草のワインであった。

Romanee Conti’84:酒齢21年2005年のワイン会で使用。1980年代を代表するブルゴーニュのハズレ年!果梗の根のような香りからスタートするが、直ぐに華麗なロマネコンティ香に変換される。驚愕はその華麗な芳香がグラスを干すまで持続していたこと。全く御見それしてしまった、酒齢35年からが勝負であった。1956年物同様、超ハズレ年に怪物誕生!!

Romanee Conti’85:かのロバートパーカー氏がブルゴーニュワインで初めて、100点を献上した記念すべきワイン!この20数年で多分10数回(内お持込ワインとして10回程)試飲する栄誉に浴したが、早過ぎたこと、状態に問題があったこともあり、残念ながら一度の感動も得られなかった・・・・。

Romanee Conti’86:チェルノブイリの年。豊満で魅力的なブルゴーニュ白の大当たり年だが、赤は脆弱な早飲みの年、ロマネコンティも例外ではなかった。

Romanee Conti’87:1980年代のハズレ年を1984年と争う、立派なハズレ年、1987年物。残念ながら前者1986年と争うほどの希薄なロマネコンティ・・・。

Romanee Conti’88:1976年物3L物の代替品として出展!1980年代の赤の当たり年を1985年物と争う当たり年だが、1988年は人に迎合せず飛び切りの硬い質のVin de Garde(ヴァンドガルド、長期熟成型ワイン)で、気品の一旦しかお見せできなかった・・・。後悔先に立たず!!

Romanee Conti’90:2023年12月25日世紀のワイン会のメインで使用。ブルゴーニュ赤の世紀の当たり年!1990年、酒齢32年歳のワイン殿下如何に・・!頑健なる萎縮の予想を裏ぎる❗️黒い大地の叫び。スーボワ、EXトリュフ、迫り来る漆黒の森❗️

Romanee Conti’96:リリース後間もない、2001年に8名のワイン会での出会い。リリース後2年、果梗の根のニュアンスが強く驚愕の体験であったが、現在2023年であっても未だ解れずとの予測、1996年は酸の年でもある為酒齢50年の2046年が最適抜栓年かっ!!

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